地蔵さんは賽の河原にいて、そこで迷う子を救うという信仰があり、地蔵盆が始まりました。京の町内では昔から盛んで、子供の遊び場を作って、提灯をぶら下げ、お地蔵さんを奉ります。赤芋、梨、西瓜、せんべい、飴、ほうづきなどをお供えし、それらは子供におやつとして渡します。町内の人も代わる々奉仕して、子供たちはのんびりと1日を過ごす。
尾張屋では大きな鍋にぜんざいをうんと作って、みえた人に振舞うのが恒例になっています。子供のころ町内で生まれ育った人が、大人になって久しぶりに実家へ戻ってきたときには「子供のころに地蔵盆でご馳走になったぜんざいの味が思い出される。」という話を耳にします。昔、そばもうどんもすべて手打ちであった頃、粉をこねて麺棒で延ばすと、ヘタが出ます。それを水につけて貯めておいて、ダンゴを作り、蒸して水無月のようなものにして、ぜんざいの餅代わりに入れて作りました。それがまた、餅とちがって塩味があり、ぜんざいの甘味がよくしみ込んでうまいものでした。
かなり昔から地蔵さんは尾張屋におられますが、地蔵菩薩の厨子には嘉永四年辛亥八月、奉寄附、稲岡傳左衛門・・・御仏師、三条、平井源七と書いてあります。この地蔵は木像で小野篁の作と伝えられています。小野篁とは平安初期の漢学者で歌人としても知られています。六体の地蔵尊を刻んだとされ、この地蔵尊と同じものが今も京都のどこかの寺にあると云われています。
「蕎麦と尾張屋」より